Wishy-WashyのJAZZ映像パラダイス&MORE

2001年7月に開店し、20016年1月に閉店した大阪市北区・西梅田のジャズ・バー『Wishy-Washy』です。所蔵していた映像ソフトやCD等を中心に貴重なものや面白いものをご紹介します。

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ネット・オークションで見つけたこのCD。
ピート・ジョリーが、ハーブ・オータという日系ハワイ人と思われるウクレレのプレーヤーと共演しているものです。
ハワイのM&Hというレーベルから2000年にリリースされていて、プロデューサーは、ウラタ・ミチコさんという日本人らしき女性。
お客さんで、ウクレレをやっている方が何人かおられて少し興味があったのと、ピート・ジョリーは好きなピアニストだったし、スタンダードをたくさんやっているので、つい落札してしまいました。
ウクレレということもあって、ほのぼのとした演奏で、ピート・ジョリーもいい味出してます。
ウクレレのオクターブ奏法も聴けますよ。
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このジャムセッションは、終始とてもなごやかな雰囲気でやり取りされていて、いつもはクールでシリアスな表情のウイントンも、この時は、珍しくなごやかな表情を見せています。
また、なごやかなのは表情だけではありません。
いつもは、スーツでビシっときめているウイントンですが、この時はカーディガン姿でとてもリラックスしているようです。
こんなウイントンには、なかなかお目にかかれません。
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1990年のマウント・フジ・ジャズ・フェスティバルのジャムセッションでの一場面です。
ウイントン・マルサリスと当時売り出し中の女性ヴォーカリストのラシェル・フェレルがブルースで掛け合いを演じるのですが、ウイントンが彼女に煽られてタジタジになっています。
序盤戦ではウイントンも「ちょっと、やりにくいなあ~。」
という雰囲気を漂わせながらも、それなりに押したり、引いたり、空かしたりして対抗するのですが、彼女はそれ以上のテンションで応酬。
ウイントンを子供扱いしているようにさえ見えます。
そして、ついにウイントンは、「あんたには、これ以上ついていけません。もう勘弁して~~~!!」てな状態になってしまいます。
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シャーリー・ホーン・トリオが1991年10月7日から12日の間、大阪ブルーノートに出演した時の映像です。
今は亡き彼女の映像は、とても貴重です。
ここでは3曲の演奏が収録されているのですが、「ハイ・フライ」では、歌わずにピアノ・トリオで演奏しています。
この曲の時、途中でベース・ソロがあるのですが、その間にシャーリー・ホーンが右手に黒い手袋を付けて、ベース・ソロのあと自分のソロを演奏するんです。
カメラも手元をアップで撮っています。
他の2曲では歌っていて、素手で演奏しているので、「この曲では、私のピアノを聴いてほしいのよ!」という意志表示(演出)なのでしょうか?
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フィリー・ジョー・ジョーンズの1959年12月15日、パリでの映像です。
フィリー・ジョーは、マイルス・デイビス・クインテットを退団した直後で、セロニアス・モンク・トリオに、ゲストとしてレギュラーのドラマーに替わって2曲叩いています。
内1曲では結構長いドラム・ソロも演っています。
モンクはこの時期キャバレー・カードを取り上げられていて、ニューヨークで演奏できない状況でした。
モンクとフィリー・ジョーの共演は、クラーク・テリーの「イン・オービット」以外は思いつきません。
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ここでバックを務めるリッチー・コールなのですが、いつものハチャメチャでイケイケの彼ではなく、黙々と演奏しています。
主役を立てているのでしょうが、ジェファーソンとの競演経験が短かったというのであれば納得なのですが、彼とは5年位の付き合いはあったはずですし、ジェファーソンのノリノリのパフォーマンスに少しは絡んでいっても不思議ではないと思うのですが......。
2日後にジェファーソンを撃った男(知り合いらしいです。)が無罪になっているそうです......。
その辺から考えて、私が推理すると。
ジェファーソンは当時危ない男で、撃った男とトラブルを起こして、正当防衛で撃たれたのでは......。
そういう危ない状態を察知していたリッチー・コールは、終始上の写真のように大人しくしていたのでは......。
以上、無責任な想像ですので、よろしくお願いします。
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ジョン・ヘンドリックス等で有名な「ヴォーカリーズ」の元祖エディー・ジェファーソンの1979年5月6日シカゴでのライブです。
たぶん彼の唯一の映像だと思います。
バックを務めるのは、リッチー・コール・カルテット。
ジェファーソンは、ノリノリで、自分が歌っていないリッチー・コールのソロの間も踊りまくっています。
歌い方も含めて、正にビジュアル向きなミュージシャンだと思います。
しかし、このライブの2日後、デトロイトのナイトクラブの外で拳銃で撃たれて亡くなってしまうのです。
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先日、ルフトハンザ航空のパイロットというドイツ人の方が土曜日に当店に来てくたのですが、意気投合してしまい、日曜日を挟んで、月曜日にも約束どおり来てくれました。(ドイツ人は日本人と似ていて律儀なのでしょうか?)
というのも、実は私は、フランク・ザッパの大ファンなのですが、彼は、ザッパのブートまでコンプリートにコレクションしていると言うのです。
でも、ぜんぜん「お宅な」感じではなく、とてもオープンな感じで、ナイス・ガイで、すっかり盛り上がってしまいました。
彼は、ザッパだけではなく、ジャズにもとても詳しくて、マル・ウォルドロンの「4 to 1」という日本録音のアルバムを探しているそうです。
それはともかく、「ザッパ」ネタで外国人と盛り上がれるなんて思ってもみませんでした。
ジョー・ザビヌルが、亡くなったそうです。

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突然のことで、びっくりしました。
1966年11月26日にロンドンで開催された「ロイヤル・ジャズ・フェスティバル」に出演したディジー・ガレスピー・オールスターズの演奏です。
メンバーは、ガレスピーをはじめ、クラーク・テリー(tp)、ズート・シムズ(ts)、ジェームス・ムーディー(ts)、テディー・ウイルソン(p)、ルイ・ベルソン(ds)、ボブ・クランショウ(b)という豪華な面々。
しかし、4人のフロント・ライン用に1本のマイクしか立っていなかったので、ムーディーがマイクの調整役をやらされております。
曲の最初では、4人がテーマを合奏するため、中間的な位置にマイクがセットされているのですが、
最初にズート・シムズがソロを始めると、すかさずムーディーがマイクを下げます。

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でもマイクの角度は斜め上を向いたままなので、「斜め下に向ければベストなのに」と思っていると、次にクラーク・テリーのソロが始まり、彼のトランペットが斜め下を向いているので調整不要。

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次にムーディー自信がソロをとる時には、角度を斜め下に変えます。

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そして最後のガレスピーのソロでは、角度は斜め下のままで、マイク・スタンドを上げて朝顔が上を向いたガレスピーのトランペットに対応させています。
(マイク・スタンドを上げた勢いでマイクの角度も少し変わっていますが...)

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つまり1本のマイクを最小の回数で合理的に動かせていたのです。
しかし違う見方をすると、合理的というより「手抜き」という風にも見えます。
そうだとすると、一番手を抜かれたのは、ズート・シムズということになります。
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こちらは先程のトリノから5年後の1964年にベルギーのブリュッセルで演奏した時の映像です。
こちらも、バックはヨーロッパ勢です。
「タイム・アフター・タイム」を歌っている時に、まだ前歯が折れたままになっているのがわかります。
当時は、折れた歯を治す技術がなかったのでしょうか?
それとも、他(?)の事にお金と時間を費やしてしまって、歯の治療ができなかったのでしょうか?
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チェット・ベイカーの1959年イタリアのトリノでの貴重なライブです。
バックは、ラース・ガリン(bs)等のヨーロッパ勢中心のメンバーです。
チェットはコンサートホールでの演奏にもかかわらず、サングラスをかけてクールにキメているのですが、「マイ・ファニー・バレンタイン」を歌っている時に、前歯が折れているのが見えます。
どうもドラッグ・ディーラーに痛めつけられたようで、サングラスは、目の周りのアザを隠すためにかけているのではないでしょうか。