Wishy-WashyのJAZZ映像パラダイス&MORE

2001年7月に開店し、20016年1月に閉店した大阪市北区・西梅田のジャズ・バー『Wishy-Washy』です。所蔵していた映像ソフトやCD等を中心に貴重なものや面白いものをご紹介します。

前々回に引き続き、今回もジューン・クリスティーです。
スタン・ケントン楽団から独立した直後と思われる1950年の映像で、『IMAGINATION』等5曲を唄ってます。

JUNE CHRISTY 1950-1

クリスティーはこの後、1953年から1955年にかけて代表作となる『SOMETHING COOL』(モノラル・ヴァージョン)を録音するのですが、

JUNE CHRISTY-SOMETHING COOL-MONORAL

何故か、その後1960年には、同名アルバムの『そっくりヴァージョン』をステレオで再録音しています。

JUNE CHRISTY-SOMETHING COOL-STEREO

さて、話を1950年の映像に戻しますが、
ここで、バックを務めているのが、何と若き日(24歳)のクロード・ウイリアムソンなんです。

JUNE CHRISTY 1950-2

ウイリアムソンは、1950年から1951年にかけて、ジューン・クリスティーのバックを務めていたようです。

CLAUDE WILLIAMSON 1950

ウイリアムソンは、この後、1956年12月、ベツレヘム・レーベルに、(同年1月に同レーベルに録音したファースト・アルバムに続き)代表作『'ROUND MIDNIGHT』を録音しています。

CLAUDE WILLIAMSON-ROUND MIDNIGHT


4月になって、店内にディスプレイしているレコード・ジャケットを更新しました。
4月は、入学・入社・転勤・人事異動等、新しい『出発』の月ということで、『青信号』のジャケットにしました。

マイルス・デイビスの『WALKIN'』と、

MILES DAVIS-WALKIN

ポール・チェンバースの『GO』にしました。

PAUL CHAMBERS-GO

ジャケットのクレジットを良く見てみると、『GO』のメンバーで、フレディー・ハバード以外は、全員マイルスのアルバムに参加したことがあるんですよね。
マイルスの影響力って、やっぱり大きかったんですね~~~。

ところで『出発』と言えば、電車の運転手が駅を発車する時に、前方を指差して『出発進行~~~』と言っているシーンを見かけることがあると思いますが、
あれって『さあ、今から出発しますよ~~~。』と言っている様に捉えられている方が多いのではないかと思うのですが、
実は、ちょっと違った意味で言っているんです。 ご存じでした?
始発駅や途中の主要な駅には、プラットホームの電車の進行方向側に信号機が設置されていて、『出発信号』と呼ばれています。
乗客が乗降した後、出発する際に、運転手は、この『出発信号』を確認しなくてはいけないのです。
信号が『青』だったら出発してよいのですが、そのとき信号を指差して確認したことを声に出して言わないといけないんです。
そして『青』のことを『進行信号』と呼んでいるので、
「出発信号が『進行(青)』になっています。」ということを『出発進行』と縮めて言っているんです。
だから、もし信号が『黄色(注意信号)』だったら『出発注意』と言って発車しますし、『赤(停止信号)』だと『出発停止』と言って、信号が変わるまで出発できません。
この他にも、終着駅や途中の主要な駅の手前には『場内信号』というのが設置されていて、この信号の色を運転手が確認して『場内進行』、『場内注意』、『場内停止』なんて言ってから、駅に入っていったり、止まったりしてるんです。
(鉄道会社によっては、少し表現が違っていたりするかもしれません。)

P.S. 私は鉄道マニアではありません。
さて、今回もビッグバンド専属歌手時代の女性ヴォーカルの映像を、ご紹介しましょう。
まずは、1945年のスタン・ケントン楽団で唄うジューン・クリスティーの映像からです。

JUNE CHRISTY 1945-1

彼女は、1945年から1949年にかけて在籍していたので、この映像は、その初期の貴重なもので、1925年生まれの彼女は、この時20歳です。
ここで彼女は『IT'S BEEN A LONG LONG TIME』と『TAMPICO』という曲を唄っています。

JUNE CHRISTY 1945-2

そして、次にご紹介するのは、その2年後の1947年に収録された、これも同じくスタン・ケントン楽団で唄う22歳のクリスティーの映像です。

JUNE CHRISTY 1947-1

ここでは『JUST A SITTIN' AND A ROCKIN'』という曲と、またまた『TAMPICO』という曲をここでも唄っていて、これも貴重な映像です。

JUNE CHRISTY 1947-2

ところで、ケントン楽団の専属歌手といえば、『ケントン・ガールズ』と呼ばれていて、ジューン・クリスティーの他にも、1944年から1945年にかけて唄っていたアニタ・オデイや1952年から1953年にかけて唄っていたクリス・コナーなんかが代表的ですが、在籍期間が1年前後のオデイやコナーに較べ、クリスティーは約4年在籍していたわけですから、よほど相性が良かったんでしょうか?

STAN KENTON 1947

それとも、クリスティーは、前回の記事でご紹介したペギー・リーと同じように、ケントン楽団のテナーサックス奏者だったボブ・クーパーと、またしても『社内恋愛』で結婚しているので、それが長続きした原因なのかも?????




さて、今回ご紹介するのは、まず1943年のベニー・グッドマン楽団と、

BENNY GOODMAN 1942-1

BENNY GOODMAN 1942-2

そこで専属歌手として唄っている若き日のペギー・リーの貴重な映像です。
1920年生まれの彼女は、1941年の7月にグッドマン楽団に迎えられ、この時は23歳ということになります。

PEGGY LEE 1942-1

ここで彼女は『WHY DON'T YOU DO RIGHT』というヒット曲を唄っています。
この後、グッドマン楽団のギター奏者デイブ・バーバーと結婚して、数年は第一線から離れていたそうなんですが、

PEGGY LEE 1942-2

1950年代に入ると本格的に仕事をするようになったそうで、
その頃の映像が次にご紹介する1950年の映像です。

PEGGY LEE 1950-1

PEGGY LEE 1950-2

ここで、彼女は夫のデイブ・バーバーのカルテットや彼のギター1本をバックに10曲ほど唄っているのですが、

PEGGY LEE 1950-3

殆どの曲で夫のギターがフィーチャーされるシーンがあります。

PEGGY LEE 1950-4

意地悪く言うと『社内恋愛で結婚して、縁故雇用で雇っている』ってところでしょうか?